みつきの人生レシピ

12年引きこもり主婦のみつきです。人生色々ありますね。。辛い素材も楽しい素材も調理して美味しくいただきましょ♪

発達遅延だった女子の成長記録(実録)

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こんにちわ!みつきです!

ブログで長男の幼少期の発達について執筆していましたが、

実を言うと・・私自身も発達が遅い子供でした。

それゆえ、親子して苦悩した日々を送っていましたし、私自身学校生活等で躓いたり、そして成長したりと色々とありました。

この記事では私が生まれてから子育ての区切りと言われる18歳の高校卒業までどんな子供で、どんな発達の遅れがあり、どのようなことで困り、どう成長したかを執筆します。

現在、発達の遅れているお子様をお持ちの親御さんには微力ですが、ご参考になったら幸いです。

 

 

発達が遅かった子供の成長記録

幼稚園入園前

私自身、2月生まれの早生まれで4月生まれの子供に比べると発達が遅れていました。

3歳の時点でも、パパママは言えないのはもちろん、指差しもしない、とにかく表情がない子供でした。はっきり言って今の私から見ても大丈夫?と思うようなこどもでした。

そんな子供でしたので近所の幼稚園には入園を断られ、市の担当者から自閉症の可能性があるので、家から随分離れた療育施設へ行くことも薦められたそうです。

確かに担当者から療育や自閉症等のハードワードが耳に入ると誰だって悩むと思います。

母にとっては初めての子育てで悩みに悩んだと思います。周りの子供は言葉を発しているのに、娘は大丈夫なの?と悩んだと告白してました。

 

幼稚園のころ

両親は私を療育施設へ入れるのは辞めて、市で私のことを理解してくれる園を必死に探してくれました。その結果、教育系の幼稚園へ入園許可を得て、入園ができました。

それでも私は園で散々迷惑をかけたらしいです。

授業中に勝手に抜け出して泥遊びをしたり、ウサギと遊んでいたり、お漏らしも年少さんのころに相当やらかしたみたいで、担任の先生には今でも頭が上がらないと両親は語っています。

言葉に関しては、年少さんの夏あたりから少しずつ歌を歌い始めたり、単語等を発するようになり、遅いペースでしたが発語が見られるようになりました。

 

年中さん年長さんに上がるにつれて少しずつ園生活にもなじみ、友達も少なかったですが楽しく遊ぶことができました。

そして私が今でも記憶していることは、教育系の幼稚園でしたので漢字や数字、音楽の授業がありました。正直、漢字に関しては何を言っているのかさっぱりわからず早く終わってくれと思っていました。

ちなみに手先が器用ではなかったので、図工も先生の言った通りではなく、自分で勝手にアレンジしてごまかして作って提出していました。

そんな状態でも何とか卒園はできました!

 

小学校のころ

小学校のころは全てにおいて苦労しました。

まず、私は言葉を上手に発することができませんでした。

低学年のころ、サ行を上手に発音できないせいで、喋るだけでからかわれたり、体も小さかったので給食の完食は難しく、運動も全然できませんでした。

正直、授業も先生が何を言っているのか理解できず勉強は苦手な方でした。

そして、友達関係もどのように接したらいいのかさっぱりわからず、大変苦労しました。

私が思う普通と友達が思う普通との差が激しくついていけませんでした。

友達が普通に追いかけている流行についても理解はできませんでしたし、何もかもにおいてワンテンポツーテンポ遅れた子供だったので、イジメのターゲットになりました。

小学校高学年はまさにイジメ漬けの日々で、時々不登校(当時は不登校や保健室登校など認められておらず、いじめられっ子にはきつい時代でした)

自分自身、公立中学へ上がると確実に不登校になり人生終わってしまうと判断し、裕福でもない家庭にも関わらず私立中学への進学と受験を決意しました。(進学させてくれた親には感謝です!)

 

 

中学校のころ

偏差値が相当低い私立中学へ進学してからは、校則の厳しさや勉強のハードさについていくのに必死でした。中一の成績は最下位争いの常連でした。

つまり勉強の仕方がわからず、先生の言うことがわからなかったのですが、放課後授業(成績の悪い子が集められる特別な授業)のおかげで少しずつ理解することができました。

中一の時点で付属高校への進学はOUTだったのですが、少しずつ勉強の楽しさがわかり成績が伸びたおかげで、すんなりと内部進学ができました。

相変わらず人間関係はまだまだ苦手で、女子校という特殊な中で自分が生きやすそうなグループを見つけたり、一人で過ごしたりなどはっきり言って人間関係さえなかったら学校は最高なのになと思いました。(女子ってちょっとした違いで人を除外しようとするから苦手でした)

部活においても運動部に入りましたが、体力がなさ過ぎて先輩から怒られてばかりで1年で辞めましたw

その後は帰宅部です。誰かといるよりも一人でいるのが好きなJCでした。

高校のころ

付属高校へ進学してからは、学内学外の友達とはっきり分けて付き合っていました。

放課後は学内の友達と繁華街で遊ぶこともありましたし、学外の友達と待ち合わせて遊んだりとそれなりに楽しいJKライフを満喫していました。

人間関係においても自分と合う人は合う、合わない人は合わないとはっきりとわかりました。部活にも入りましたが、また一年で辞めてしまいましたw でもアルバイトは3年続きました!(個人商店にて)

勉強においては、教えるのが上手な先生たちのおかげで勉強がますます好きになり大学進学を意識するようになりました。

このころには、もう発達の遅れなど気にすることもなく、普通と呼ばれる女子になっていました。(実母からは幼い幼いと言われていましたが)

時々ワンテンポ遅れるJKでしたがw浪人することなく第一志望の大学にも合格して、やっと自分の中でも「みんなに追いついた感」がありました。

最後に

言葉の遅れや人間関係がうまくいかなかったりと親が心配する要素ばかりの子供でしたが、結局は親がどうこうするよりも、私の場合は周りの友達の影響や自分で考えて道を切り開いたりしました。

現在、私を含めて発達が遅れている子供をお持ちの親御さんは「将来、この子はどうなるの?」と思っていますが、元発達が遅れている子だった私の経歴を見て少しだけ安心していただけたら幸いです。(逆に心配されるかも・・)

一日一日小さな成長をしているのは間違いないですよ!!

 

 

 

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ママパパ!心配しないで!ゆっくり成長しているよ!

 

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